7歳ADHD男子と投薬治療について
ADHDの子供に投薬は必要なの??
ADHDのお子さんにとって投薬とは必要なのか、不必要なのか、すごくすごく難しいですよね。医師によっても、何種類も処方する医師もあれば、ADHDは病気ではないからと処方しない医師もいたり、何が正解なのか本当にわからないです。
ちっちに投薬を始めてからもうすぐ1年が経ちますが、今でもとても不安です。
『子どもに薬なんて』と言われることも多々あります。言われるたびに、私のせいでこの子の将来に何か起きないだろうかと本当に不安になります。。。
そんな我が家の状況が誰かのお役に立てればと思い、投薬に至った状況、投薬のその後の変化等をお話したいと思います。
投薬前の状況
幼稚園時代やりたくないことはやらない、やりたいことには猪突猛進。集団行動って何?美味しいの?くらい自由に過ごしていたちっち。
年長の保育参観時、好きな遊びをする時間でした。みんなはお友達と各々自由に遊んでいて、ちっちにも声をかけてくれます。でもちっちはお友達に見向きもせず前日から始めた展覧会の作品作りに取り掛かりました。始まってすぐに、ちっちは先生にゴソゴソ相談をはじめるといなくなってしまい、そのまま参観時間は終わってしまいました。私はちっちの年長の最後の保育参観は自分の子ではなく他の子を見て過ごしました(笑)
どうやら、作っていたワニの手足を図鑑で確認がしたくて図書室に行ってしまったようです。先生もきっとお母さんが待ってるから戻ろうと何度も声をかけてくれていたんだと思うんですが、気に入ったアングルの写真を見つけるまでやめられなかったんだろうなと想像つきます。
他にも
・お誕生日会で大脱走(ステージの上で注目されるのが嫌だったらしい、大脱走することによってより注目されていることには気がつかない。)
・運動会の練習はほぼ参加しない&帰宅後は数時間大癇癪。
・年中までの保育参観はほぼ不参加。床で寝る、何もしない等々。
・とにかくイレギュラーなことが苦手。イレギュラーなことが起こるたびに帰宅後に繰り広げられる大癇癪の嵐。特に転園をした年中時代は暗黒時代で、毎日1時間の癇癪タイムが辛すぎた、、、
等々、小学校生活に向けて不安しかなかったため就学相談にて投薬の必要、診断の必要があるかを相談しました。そして、就学相談時には『今病院に行ってもグレーと診断されるだけ。小学校に入って困りごとが見つかってから受診した方が良い』と児童精神科の医師よりアドバイスいただきました。
入学後の困りごと
小学校は通っていた幼稚園と同じ敷地内にあり通い慣れた場所、クラス内にも同じ幼稚園だった子や同じマンションの子がたくさんいて、スムーズに小学校生活をスタートできました。表向きは、、、登校しぶりがなかっただけとも言えます。
担任の先生はとにかく褒めて伸ばしてくださる先生で、連絡帳にもお褒めの言葉をたくさん書いてくださり、ちっちは毎日元気に楽しそうに登校していました。が、、、たくさん出てきました困りごと、、、
まずは想像通り、字が汚い、板書ができない、椅子に座っていられない。ADHD3大お困りごと全部詰め合わせでした!椅子に座っていられないとき、アメリカではキャスター付きの椅子やバランスボールを用意してくれる学校があるみたいですが。
ちっちの担任の先生も素敵でした。教卓の下をシェルターとして使用させてくれて落ち着かない時には教卓の下で過ごしていたそうです。
着替えの意味
毎週持ち帰ってきて毎週洗っていた体操服。実は使用されていませんでした(笑)
5月の中頃に担任の先生から『最近ちっちくん体操服に着替えられるようになりました』と聞き本当に驚きました。先生曰く、『着替える意味がわからない。めんどくさい。』と言っていたとのことです。本当に、、、ワーオとしか言えない、思っててもそんなこと小一の時大人に言えなかったなぁ空気読めないって羨ましいなぁと思いました。
5月に入ると汗をかき始めたので、体操服に着替えるようになったらしいです。
宿題や次の日の支度
宿題が少なく授業時間の短い最初のうちに、帰宅後はすぐに宿題と次の日の支度をこなしてから、外に遊びに行くルーティンができたため、宿題や支度は嫌がることはほとんどなかった気がします。
まだまだ苦手な運動会の練習
指示が通りにくく、さらに完璧主義で、整列やじっと待つことが苦手。運動会の練習は苦手なものの詰め合わせ。運動会の練習が始まると、今年もやってきたか、、、と帰宅後大癇癪のシーズンが始まります。幼稚園時代は練習はほぼ参加せず遠巻きに見るだけ、本番前になると少しずつ練習に加わり、本番は何食わぬ顔して参加するという美味しいとこどりなちっちでした。
小学校では少し空気を読むようになったのか、練習には参加していたようです。でも、家での大癇癪祭りは何にも変わらず><小学生になっても運動会前は荒れに荒れていました。
そんなこんなで問題だらけだったので就学相談時の医師の言いつけ通りに、児童精神科への扉を開きました。
初めてのの児童精神科
よく通院している近所の病院だったため、通院は問題なくクリア。
先生も明るくて優しくてちっちはすぐに打ち解け、本領を発揮しました。初回の診察時は1時間くらい先生とじっくりお話をしました。その間、病室内のあちこちを探検し、ベッドに横たわったり、椅子をぐるぐる回したり、やりたい放題。先生からも間違いなくADHDと太鼓判を押されました。通常の診察では環境整備から始めるそうですが、ちっちの場合は療育に通っていたこと、通級に通っていること、担任の先生がとても理解があり教室にいられるように色々な配慮をしてくださっていることからすぐに投薬治療が始まりました。
投薬については私はとても後ろ向きでした。できるなら今も減らしたいし、やめたいと思っています。風邪薬のようにいっときのものならまだしも、毎日ずっと薬を飲み続けて将来大きな病気に繋がったり、薬に依存してしまうことが怖かったからです。。。
投薬後の変化
アトモキセチン5mgを一日に2回からスタートしました。飲み始めた日から授業中の立ち歩きが一切なくなりました。学校の先生はとても驚き、また通級の先生からは効き目がありすぎて薬を大量に飲んでいないか心配されたほどです。副作用は全くなく、体調に問題がなかったので段階を踏んで10mgを1日に2回で落ち着きました。
医師からは飲んですぐに立ち歩きがなくなったことは、プラシーボ効果も大きいのでは?とのことでした。薬の効果事態は本人が直したいと思っていることに強く作用すると言われ、ちっちはみんなと一緒に授業を受けたかったんだね。とのことでした。
投薬後の変化としては、、、
・授業中の立ち歩きがなくなる
・筆圧が強くなる
・癇癪が大幅に減る。癇癪を起こしても数分で切り替えられるようになる。
以前のように長時間大音量で泣き続けることはなくなりました。
・連絡帳以外の板書は一切なかったのに、ほんの少し板書ができるようになる。
等々本当に本人にとっても、周りの人にとっても良い効果がありました。
その後、だんだんと薬に慣れてきたちっちは自分で薬を飲む日をコントロールし始め学校のある日は薬を飲み、週末はあまり飲まなくなりました。また、アイスホッケーの練習や試合の前には薬は絶対に飲まないと自分で決めていました。理由は聞いてもなんだかよくわからない返答でしたが、医師に相談しても問題はなさそうだったので現在も週末は休薬日を作りつつ日曜の夜から飲み始めるというサイクルで飲んでいます。
渡米まではとてもうまく行っていたのですが、、、わかってはいましたが渡米ストレスで大癇癪祭りが起きてしまい、、、追加の薬で癇癪をコントロールしています。。。
次回アメリカでの通院と投薬のお話をしたいと思います。
ADHD男子〜食事問題編③暗黒時代からの脱却編
ついに暗黒時代からの脱却編です。
ちっちは今普通に食べられる男子に成長しました。
たくさん食べる日は大人のお茶碗2杯分食べたりもします。
食事には偏食はないけれど、おやつは超偏食で和菓子大好きっ子。
あんこや、お餅が大好きです。
でもケーキやチョコレート、アメリカのほとんどのお菓子は食べられません。
アメリカに来てからのおやつは、ミツワに売っている冷凍のたい焼き、今川焼、もしくはおにぎりになりました。ミツワが近所にあって本当によかったです泣
三度の食事も完食する日がほとんどです。完食してくれるたびに涙が出て、今日もたくさん食べてくれてありがとうと伝えています。ちっちからもよく『ママのご飯が一番好き。いつも美味しいご飯作ってくれてありがとう』と言ってくれます。
本当にこんな日が来るなんて想像できませんでした。。。
幼稚園時代は、ほぼほぼ食べないで悩む毎日でした。
特にお友達との外食の日は最悪です。。。お友達が気になって食事どころではない。その後夢中になって遊び、最終的に具合が悪くなる。。。仲の良いお友達だとちっちの低血糖症に慣れていて『ちっちの顔色が悪くなってきたから、何か食べた方が良いんじゃない?』と教えてくれるほどです。。。
そんなこんなで少食問題は幼稚園時代は全く改善されることなくすぎていきました。
苦手だったおにぎりを克服!ついに転機が!
年長の3学期、突然アイスホッケーに目覚めました。
チームに所属できるようになるまでは色々すったもんだし、結構大変だったのですが、とにかくどハマりしたちっち。
週に2回1時間半の練習の後は猛烈にお腹を空かせ、帰りすがらおにぎりをぱくぱく食べるようになりました。今までおにぎりが苦手だったとは思えないスピードでパクパク食べられるようになりました。
足りていなかったのは運動量?
ADHD男子には運動が必要なことは重々承知でした。(この当時はまだ診断前ですが体力が異常だったので、、、)お友達と遊んでいても、お友達がもうヘロヘロだからちょっと休憩と言っても、まだ全然けろっとしていたり、幼稚園の先生からは『ちっち君は歩けなくて、いつも走ってしまいます』と言われたり。たくさん遊んだ日はとてもスッキリした顔をしていたり。
わかっていたつもりなので、公園遊びの時間をたっぷり作り、習い事でもスイミングと野球スクールにも通っていました、、、しかしお腹が空くまでには至らなかったようです。。。
アイスホッケーを始めてからのちっちは、一度お腹が空くことを覚えたためか、練習のない日にもしっかりと食べられるようになりました。そのほかにも、すこーし癇癪が減ったり、すこーし集団行動ができるようになりました。
どのくらい運動すれば足りるの?
これは我が子の主観ですが
6歳の当時はアイスホッケー週2(各1,5h)+スイミング週1(1h)で十分な運動量だったかなと思います。
そのためスイミングだけやるなら、週3以上
野球やサッカーチームに所属したら週末は2日間一日中みっちり+平日一回他のスポーツ系習い事くらいがちっちにはベストな運動時間なのかなと思います。
小学生になってからは、アイスホッケーとスイミングに+して週末の空いている時間に野球チームに入ることにしました。その他にも平日は公文にも週に2回通い、その隙間に妹の習い事にも付き添い……私がいっぱいいっぱいでしたが、本人は至ってケロッとしていて毎日フル稼働してるくらいがちょうど良いんだなと感じました。
ADHD疑惑のあるお子さんを育てているお母さん、付き合うのは大変ですが、ぜひぜひ、運動をたっぷりさせてあげてください。多分ちっちは生まれた時から私よりはるかに体力がある気がしますwだから夜眠れなくて夜泣きしまくっていたのかな?赤ちゃん時代、昼寝の時にも1時間以上寝ぐずりしていたのも体力が有り余っていたからなのかな?と今になって思います、、、
体幹を鍛える
そしてADHDのお子さんは体幹が弱い子が多いらしく、ちっちも平均台、けんけんぱ、縄跳び、鉄棒は特に苦手そうです。姿勢もいつもとても悪く、何か書く際にもいつも左肘で体を支え、体が捩れています。その割にアイススケートは3歳くらいからスイスイ滑っていたので、体幹を鍛えるためにも良いかなと、よくアイスリンクに連れて行っていました。今でも縄跳び、鉄棒は苦手ですが、全くできないかといえばそうでもありません。あやとび、二重とび、逆上がりは練習中です。姿勢は今も改善はされていません。
・一本下駄
・トランポリン
・けん玉
等々が体幹トレーニングに良いと聞いたのでお手軽にできるし取り入れようかなと思っています!一本下駄がアメリカで手に入るのかわかりませんが、、、
けん玉は日本の小学校でブームだったらしく、毎日練習していてかなり上達しました。膝と頭と手を使うなんて一つのことに猪突猛進なちっちには難しそうですが、すごくハマっています。
アイススケートが体幹を鍛えるのに役に立ったかはわかりませんが、ADHDの子は刺激が好きな子が多いので、パックを打つときの大きな音、やブレーキの音、滑るときのスピードなど、ADHD好みなスポーツであることは間違いないらしいです!
そんなこんなで、ADHD男子食事問題編を終わりにしたいと思います。
今回の記事がみなさんのお役に立つことを祈ってます✨
ADHD男子の食事問題編②〜暗黒の幼稚園時代。。。
ちっちの食事遍歴、暗黒の幼稚園時代編です。
3500gのビッグベイビーだった彼は、幼稚園入園の時には
超スモール男子に成長していました。
毎日、毎日、食事が終わるまで席を立ってはいけないと言い続けた結果。
3歳の頃には勝手に席を立つことはなくなりましたが、、、1回の食事に1時間以上かかる毎日。ほっといたら全く食べない。口に運んであげても咀嚼が異常に遅い。口に入れたら一時停止。声をかけると口を動かすけどまたすぐに一時停止。そんなこんなを繰り返し1時間食卓にいても、同じ年の子の食べている量の半分食べているか食べていないか、、、
しかし幼稚園の先生の熱心な教育のおかげか、お弁当だけは残さないで帰ってくるのです。最初の頃はたくさん残して帰ってきていましたが、一度お弁当は残さないで全部食べると決めたちっちは持ち前の頑固さで、毎日お弁当だけはきれいに食べてきてくれました。
そしてそして事件は起きる。
その日は疲れてしまい、夕飯を食べずに寝てしまいました。すると翌朝、麦茶飲みたいーと起きてきて、麦茶を飲んだら、みるみるぐったりし、意識が遠のいていくように眠るちっっち。15分くらい眠ると、突然の嘔吐。さらにまた眠る。また嘔吐。また眠る。また嘔吐。と病院に行くまで何回吐いたかわからないほど。病院では胃腸風邪かな?吐き気が強いから吐き気止めの座薬を出しておくね。と言われ座薬を入れると吐き気がおさまり、その日のお昼にはもうすっかりいつも通り元気になっていました。風邪??とは思いましたがその時はそのまま気にせず。
その後も、この突然の猛烈な嘔吐は何回か繰り返されました。ある時はお弁当のない午前保育の日、ある時は学芸会の日、ある時は夕飯を食べずに眠ってしまったとき。
3回目くらいでやっと気がついたんです。お腹が空いている時だ!と。病院でそのことを説明すると、
『低血糖の症状だね。甘いお菓子を食べすぎていたり、ジュースを頻繁に飲んでない?』
『先生。うちの子は甘いものが嫌いでジュースも家にありませんし、おやつもほとんど食べません』
『じゃあご飯ちゃんと食べてる?』
『少食です。白米は嫌いです。』
『うどんは?』
『麺類も嫌いです。』
『ただの糖質不足だよ。ちゃんと炭水化物あげて。あと吐き気の強い時にお茶は余計に悪化するからNG。甘い飲み物あげて。』
。。。あー。気持ち悪くなると必ず麦茶欲しがってた。。。
ただの食事不足か。。。ガリガリだもんな。。。虐待されてると思われないか?
等々、色々と思いましたが、突然の嘔吐の原因がわかり一安心。
それからは、何を言っても食べないのは変わらず仕方ないので、常にラムネを常備しお腹が空いていそうな時、激しく動いた直後にはラムネを食べさせることにしたらすっかり低血糖は起こさなくなりました。
ADHDドケチ夫と母の日、、、毎年勃発する夫婦喧嘩の原因とは
息子の壮絶な食事情の前にちょうど昨晩起こった夫婦喧嘩のをお話させてください
とにかくケチな夫。
私が遣うお金に対して常に目くじらを立てて怒っています。洋服やジュエリーに遣うお金に怒るならまだわかりますが、、、スーパーやドラッグストア、TARGET等で$200を超えた日はねちねちねちねち、お前はお金を使い過ぎだ!とずっと文句を垂れています。
・まとめ買いをしていること
・一つ一つの値段を教える
・今日の買い物でどれくらいの間生活できるか等を説明
すると大人しくはなりますが。毎回のことなので、こちらも相当イラっとします。
金銭感覚がなく物の値段の相場がわからないので、常に総額で出ていくお金のことにしか目がいかなくて不安なのはわかってはいますけど。。。
夫は、全ては金額でしか判断できないので、物の価値と値段については覚えられません。なので金額が安いからと1000円のスナック菓子や、すっごく小さい瓶に入っている3000円のラー油なんかも、ホイホイかごに入れてしまいます。キューピーマヨネーズもアメリカに来て、ホイホイカゴに入れてドバドバとサラダにかけています。。。こんな人にお金のことで文句を言われる筋合いはさらさらないと思うのですが。
本題ですが、我が家では5月6月と母の日、父の日、義父の誕生日、とプレゼントを渡す機会が重なります。毎年何にしようかなーと私が悩んでいると
『お金は湯水のように出てこない、何もあげなくて良い』
と怒り狂う夫。。。私に対してのプレゼントでなく自分の両親に対してです。ただし一応外面があるのか、私の両親に対してのプレゼントには何も言いません。
夫の両親は嫁の私に対しても、誰に対しても、とにかく優しく、気遣い気配りの上手な素敵な両親です。毎年私の誕生日には食事をご馳走してくれて誕生日プレゼントも用意してくださります。そんな両親に対して何もしないのはおかしいし感謝の気持ちを伝えるべきだと説明しても全く聞く耳持たず、、、結果私が押し切り両親にプレゼンントを渡すのですが、本当は一緒にプレゼントを選んで欲しいなと思っています。
毎年、このシーズンになると勃発する夫婦喧嘩でした。
ADHD男子の食事問題編①〜全く食べなかった幼児時代
今回からはADHDの息子ちっちの食事遍歴をお伝えします。
食べることが嫌い、少食、偏食なお子さんを育てるのって本当に本当にストレスがたまりますよね。私も息子の食事の時間が本当にストレスでした。そんな元超少食男子が今人並みに食べられるようになった経緯をお伝えします。
今お子さんの食事について悩んでいるお母さんが少しでも解決できますように!!
みるみる平均身長から遠ざかっていく息子
予定日前日に産まれたにもかかわらず、51cm3500gだったものの…成長と共に平均身長からどんどんどんどん離れていき、2歳を過ぎた頃の健康診断では成長曲線の山が低いことと、低身長で病院で再検査を受けることになりました。検査しても体には何の問題もなく、ただ少食が原因だったのだと思います。数回通院しましたが、食事の指導だけで終わりました。今はちょうど−1歳の平均身長をうろうろしています。成長曲線はきちんと山ができるようになりました。
親子で泣きながら食事する毎日
産まれた時から完全母乳で育て6ヶ月頃から離乳食を始めました。好き嫌いはないものの、レトルトの離乳食は全く受け付けず、また一回で食べる量も極端に少ないので頻繁にお腹を空かせていて、外出の際にはお弁当箱に小さいおにぎりやフルーツ等を持ち歩いていました。当時おにぎらずが流行っていてお腹が空くと薄ーい小さいおにぎらずをひょいと口に入れていました。
野菜、魚、きのこ、フルーツが好きで、そこだけみたらめちゃめちゃ良い子、、、だけど食事に飽きるのが本当に一瞬で、一口食べたら即ご馳走様をする日々。食べるのに飽きたと泣き喚くちっちVSもっと食べろとスプーンを口に運ぶ私。食事の時間が非常にしんどく、私も泣きながらご飯をあげていました。
さらに追い討ちをかけるように。1歳ごろ所属していた、とあるベビーサークルの先生から、サークル時間中に小さいおにぎりをひょいと食べては遊ぶ息子を見て
『決められた時間以外に食べ物をあげちゃダメだよ』
と言われました。そうしたいのは山々!努力だってしてる!今あげないことだってできるけど、あげなかったら大癇癪でサークル活動どころではない、月に2回しかない、ちっちも楽しみにしている活動だからこそ癇癪は避けたい!私だってあげたくないんだよーーー!
6年経った今先生に大きな声で言います『あの時できなかったけど、今はちゃんと3度の食事で我慢できるようになりましたよーーーーー!』
その後、保健センターの食べない子向けのセミナーや栄養士さんの相談室等に行って色々なことを試してみましたが、改善されることは全くありませんでした。食べない子は何しても食べないんです。。。本当に。。。
出汁からちゃんととる、手づかみ食べ、お料理を一緒にする、色々やりましたが、、、頑固な子は何をしても本当に響かないんですよね。。。好きなものを最後にしてモチベーションをあげるとかも癇癪持ちの息子には逆効果でした。。。
でも、7歳の現在、味の違いのわかる超グルメ男子へと成長しましたw将来の夢はレストラン経営とも言っていますw
今お子さんの食事に困っているお母さん!その子もしかすると、めちゃめちゃ良い舌持っててるかもしれませんよ〜!
そしてあのころ、食べない息子に悩んでいた私に伝えたい!
『あなたの子が食べないのは、あなたのせいではない!気に病むことなく、食べたいものを食べさせ、あとはサプリで補え!!!』
当時はサプリを子供にあげるなんて考えは全くなく、味覚を育てなくては、バランスの良い食事、正しい食事の仕方を教えなければと躍起になっていましたが、食事が原因で親子関係が悪くなるくらいならもっと手を抜けば良かったなと思います。実際にちっちのように食べない子で必要な栄養素をサプリメントから摂っていたお友達は、今息子よりはるかに立派な体格へと成長しています。当時足りていなかった栄養素をサプリで補ってあげていれば、今平均身長くらいにはなっていたのかなと後悔しています。。。
真っ先にトマトを食べてご馳走様をする図↓
真っ先にいちごを食べてご馳走様をする図↓
次回はもっと深刻な悩みとなった幼稚園時代の食事のお話です。
駐在準備〜アメリカに持ち込んだお土産編 おすすめは高級海苔屋さんのギフト
お仕事の事情によっては日持ちしない生菓子を空港から直接、上司のお家まで届けなければいけないなんてところもあるみたいですが、、、夫の会社はそんなに固くないようなので、日持ちし(コロナで出勤日が減っていていつお会いできるかわからないため)、日本ぽいけどアメリカ人でも食べられる、さらにできるだけ軽いものを選びました。
お別れギフトに配った”うmy棒”はこちらでも余すことなくプレイデートの際に配りました!みなさん喜んでくれました^^
その他ばら撒きように持ってきたお土産は
夫の会社
・柿の種
・湯の花(残ったからではなく、本当におすすめだから持って行ったのだけれど、、、またまた残りました)
ご近所さんや不動産エージェント等これからお世話になる方へ
・青のり青糸 | 丸山海苔店
これは日本でも友達におすすめしまくっていた、超おすすめの青のりです。香りが強くて本当に美味しい!青のりに違いがあったんだと初めて食べた時には感動しました!
・のりさく味付け海苔「のりさく」 | 山本山公式オンラインショップ
お子さんのいらっしゃるご家庭には喜ばれます。我が家のキッズも秒で食べきります。
会社の偉い方々用に
・のりせんべい海苔屋の「のりせんべい」手土産ギフトに| 山本山オンラインショップ
余るかな?余ったら食べたいなと思っていたのですが、余らず、、、食べてみたかったです。
丸山海苔店も山本山もおすすめできるお土産ギフトがたくさんあるのでぜひお土産探しに覗いてみてくださいね^^
その他、ちょっとお高いわさびチューブや、茅乃舎の出汁、日本茶等も持ってきたのですが、調味料、出汁、お茶は高いけれどこちらで十分すぎるほど手に入るので結局自宅消費しています。でもでも、私はやっぱり出汁はもらったら嬉しいと思います!
駐在準備〜お別れギフト編 うMY棒とは??
お別れギフト編です。
大好評だったお別れギフトが、、、
うMY棒です!なんとパッケージに自分の好きな写真が入れられ、メッセージ等も好きに入れられます。これ控えめに言ってとても良かったです。所属していたスポーツチーム用と、お友達に配る用の2種類を作りました。全部配り切ってしまい写真がないのですがとっても可愛かったです。
学校のカラーにもよるかと思いますが、うちの子たちの通う幼稚園、小学校で今までいただいたお別れギフトは歯ブラシと鉛筆が多かったです。うちの子達も小学校と幼稚園のクラスのお友達には歯ブラシを配りました。お兄ちゃんの方には包装紙、妹の方にはワックスペーパーを飾りに入れました。あとはおまけ程度に全員にフレークシールをパラパラと入れました。
その他直接お会いしてお別れした方々には、フェイラー等のハンドタオル。魚柄やコミック柄バレリーナ柄等々、自分用にも欲しくなる可愛い柄がたくさんありました!
夫の会社の方には湯の花と、スタバのインスタントコーヒーをばら撒きようにたくさん用意しました。スタバはすぐに品切れになったようです。湯の花はちょっと人気がなかったようです。。。